2015年7月28日火曜日

スタンフォードMBAのインフォメーションセッションで考えたこと(スタンフォードのカルチャーの本質)


「それまで私は、『見えない』ということにとらわれるあまり、その人がその人らしく生きていくということに気が回りませんでした。」
(辻井いつ子、『今日の風、なに色?―全盲で生まれたわが子が「天才少年ピアニスト」と呼ばれるまで』より


スタンフォードGSBのインフォメーションセッションがあったので、昨日、今日と卒業生として参加してきた。



学校の魅力を伝えるのって難しい、というのが参加した感想だった。

後ろの方の席に座って聞いていると、Global ExperienceとかInnovationとか、一つ一つの学校側の売り文句について、私の脳裏では、過去の素晴らしい経験がよみがえる。目を閉じると、その時の状況が鮮明に思い浮かび、穏やかな気持ちになってくる。しかし、我々が実際に経験した毎日の感動を、プレゼンテーションで伝えるのは難しいだろう。私が感傷に浸っているのに対して、参加者の受験生はExcitedしているというよりは、どちらかというと、緊張して真剣な面持ちだったような気がした。

「カルチャーについて、説明するのって難しいのよね。」といいながら、アドミッションオフィスが、Collaborativeなカルチャーの説明をされた。例として挙げられたのは、二人のMBA生が、一つしかない就職先について、競争するかわりに、戦略を練って、ポストを二つに増やしてもらい、二人とも採用された、という話だった。

たしかに、皆がリスクをとり、リスクをとっている人達の間で、助け合うカルチャーがあり、これが他の学校と一線を画する場合があるというのは事実だ。

しかし、本質ではないのではないかと思う。

学生の多くが、自分の人生の意義について考え、自分自身の人生の著者となって、それを実行しているというのは、学校のカルチャーにならないのだろうか。このような哲学的な側面こそ、本当の学校のカルチャーの本質であると思う。Collaborativeなカルチャーは、このような本質から派生しただけであり、表層に過ぎない。

もっと分かりやすくいうと、自分らしく生きるということ。

例えば、私は、ビジネススクールに入ってから、何か月も、ずっと、気を張る状態が続いていた。「本当にこの集団の中でやっていけるのか」「認めてもらえず、輪の中に入っていけなかったらどうするのか」といったことを気にしていた。なので、人一倍予習をしっかりし、睡眠時間を削って、授業中に気の利いた発言するように心がけた。社交の場にも出来るだけ出席した。社交の場では、何か印象に残ることを言って貢献しよう、と気をもみ続けた。気の利いたことがいえず、会話が途絶えてしまうと、自分の実力に失望した。要するに、日本でいう優等生を演じ続けた。

ふとした瞬間に、このことの問題に気が付いた。

人生で最も大切なことの一つに、気持ちと気持ちがつながる、ということがあると思う。もし、1000億円儲けたとしても、世界をかえるGoogleをつくれたとしても、気持ちと気持ちがつながる瞬間がないのであれば、その人の人生は、生きているとは言えず、単に存在しているだけである。

いつも気が張っていて、結果を出すことにフォーカスしていると、なかなか気持ちと気持ちがつながる関係にはならない。ビジネススクールで、挑戦して挑戦して挑戦し続けて、それでもあきらめずに挑戦をし続けた。その結果として、気持ちと気持ちを伝え合うことを大切にする生き方の大切さに気が付いた。

気持ちと気持ちを伝え合うことを大切にすることに集中するようになってから、「認めてもらえなかったらどうしよう」「本当にやっていけるのか」という気持ちがなくなった。クラスメートとの間で会話が途絶えてしまうこともなくなった。

自分らしく生きるということ。この結果、世間の人が定義する「成功」とか「失敗」とかいった指標は、人生にとって重要でなくなる。世間でいう「成功」という指標が重要でなくなる結果として、他人と競争する必要がなくなり、Collaborativeなカルチャーがうまれる。世間でいう「失敗」という指標が重要でなくなる結果として、Risk Takingなカルチャーがうまれる。また、自分らしく生きるため、他人の目を気にしないから、他人の意見を安易に信じて、自分の信念が左右されるということがなくなる。これは、実は、世界を変える人の条件である(こちら↓)




スタンフォードビジネススクールでは、学生に自分らしく生きてもらい、それによって、意義深い人生を送って欲しいと考えている。

この結果、
「あなたにとって一番大切なのは何ですか」
というエッセイが出題される。

よく、「ビジネススクールで、自分を再発見できた」とか「本当の自分を知ることができた」という人がいる。

確かにそういう一面はあるのだが、自分の人生で一番大切なものは、自分で決定するものである、という点を見誤ってはならないと思う。

「自分が誰か」とか「自分の人生で一番大切なものが何か」という問いに対する回答は、算数の問題のように回答が一意的に存在するものではない。回答を探すものではなく、自分で決定するものである。

仮に、読者が今の自分が大っ嫌いだったとする。この場合、大っ嫌いな自分が、本当の自分の姿なのだろうか(つまり、これをエッセイに書くのだろうか)。そうではなく、自分に新しい名前を付け直せるのかを考えるのである。そして、新しい名前を白い石の上に書き、机の上においておいたら、どうすれば、理想にそった人生を生きれるのか、ということを考えることによって、人生で一番大切なものが決まる。

死んで人生を振り返ったとき、どういう自分に出会いたいかを考えれば、理想の自分に出会えるだろう。

明日、地球が滅亡するとしたら、読者は何をしたいだろうか。

伝えられなかった思いを伝えるのか、
大事な人の傍でただ時間を過ごすのか、
困っている人を助けてあげたいのか、

ちなみに、映画、「最高の人生の見つけ方」では、

美しい大自然の中に骨を埋めたい、とか
したことがない経験をしてみたい、

といったことに重点をおいているようだ。

人間にとって本質的に意義があるものは、手と足の指で数えるほどしかない。その中で、何を選択し、どう優先順位をつけるのか考え始めたとき、自分の人生の著者になることができる。


インフォーメーションセッションに参加していた受験生が、「スタンフォードに留学して、あなたは何が変わりましたか」と質問した。

「自分の人生の著者になり、人生という作品をどのような色合いを組み合わせてつくっていきたいのか、考えるようになり、それに従って、行動を始めるようになった。私は人生、挑戦し続けたい。倒れても倒れても起き上がりたい。その中で、他の人と心が通じ合える瞬間を大切にしたい。そうすることで、色彩豊かな人生を送れると思うようになった」

自分だったら、そう応えたと思う。









If you haven't seen this video yet it's a must
Posted by Viral Thread on Tuesday, January 6, 2015

2015年7月8日水曜日

ベンチャーについて

東京大学関連(知財のみの移転を含む)のベンチャーの時価総額が、1兆円を超えたということで話題になっている。
http://textream.yahoo.co.jp/message/1004587/4587/8/403

私は、MBAとMSをスタンフォード大学で取得したので、2010年と2011年の卒業ということになっている。

非公開の資料ベースだと、

2010年のMBA生360人ほどが、今までの5年間で、自分の創立したスタートアップで、「資金調達した額」(時価総額ではなく、時価総額よりも低い)の総額が、5000億円である。

また、2011年のMBA生360人ほどが、今までの4年間で、自分の創立したスタートアップで、資金調達した額が、4000億円である。

ちなみに、公開されているデータベースだと、あまり情報がないようで、以下のように、数倍ほど、金額が間違っている。
https://medium.com/pejmanmar/what-do-stanford-gsb-founders-look-like-b830ba95a1ba

なぜ数字が間違っているのかというと、資金調達の総額や、時価総額の総額といった数字、成功率(ヒット率)といった数字には、あまり意味がないと全員がかんがえているため、公開の場にはデータが出てこないのである。

グーグルのような本当に世界を変える会社をつくりたい、という一心で、かりに1000億円の会社を上場させたとしても、本当のゴールに向けたパスに過ぎない、と考えている人がマジョリティだ。

これをもって、スマートでないとか、夢見がち、と思う人もおり、よく批判される。

2015年5月17日日曜日

スタンフォード大学に合格する方法 「Know your audience」

"20 million people are starving; whatever their politics, they should be fed." (Clark Hoover, 31st President of the United States)(日本語訳「2000万人の人が、空腹なんだぞ。政治になんか構っていられるか。食べさせなくてはいけない」、クラーク・フーバー、第31代アメリカ大統領)

"Optimism for me isn't a passive expectation that things will get better; it's a conviction that we can make things better – that whatever suffering we see, no matter how bad it is, we can help people if we don't lose hope and we don't look away." (Bill Gates) (「どんな状況でも、どんな苦しみを見ても、どんなに酷い状況に見えても、逃げ出してはいけない。希望を捨てず、目を背けず、必ず勝てる、という強い意志の力をもつことが大切だ」、ビル・ゲイツ)



このブログも、数年前から、受験生の役に立つブログとして認知されてきたため、

「スタンフォードって、どういう学校なんですか。ウェブサイトからはわからないのですが。」

と受験生から質問されることがある。大学の出願書類で、エッセイを提出することが求められるのだが、エッセイを書くのにあたり、「know your audience」ということで、学校についてリサーチしていると、スタンフォードのウェブサイトを読んでいるうちに、どんな学校だかよくわからなくなるというのである。

スタンフォードの在校生に質問をしても、「変人がおおいよ」とか「シリコンバレーのイノベーションの空気を吸っているよ」とか「哲学者が多いよね」とか、思い思いの返事が返ってきて、なおさら、どんな学校か分からなくなる。

私もそうだった。

そこで、

スタンフォードは、どのような学校なのだろうか。

という疑問に単刀直入に応えることにしたい。

まず、別の学校の場合、どうだろうか。ハーバードMBAといえば、競争が激しく、大変優秀な人達という印象。ケロッグMBAは、チームワーク。バークレーは、西海岸特有の人柄の良い人達によるイノベーションの学校。ウォートンMBAとコロンビアMBAは、ファイナンス・分析に強く、成熟した人達の学校。MITはテクノロジー・イノベーションに強い。などなどと色々と各学校にはブランドやイメージがある。

スタンフォードの場合、そのカルチャーは、以下の写真に示されている。だから、出願書類を作成するときには、いつもこの写真を思い出して欲しい。受験生は、印刷して、机のうえに飾って欲しい。


スタンフォード大学の象徴ともいえるこの塔。スタンフォード大学という名前を聞いたことがある人なら、だれでも、一度は、写真で見たことがあるだろう。

しかし、この塔が、アメリカ第31代大統領のフーバーにちなんで、フーバー・タワー(フーバー塔)と呼ばれていることは、一般には余り知られていない。

フーバー大統領について、日本の世界史の授業では、大恐慌のときに、モラトリアム政策をとった大統領とぐらいしか教わらない。しかし、スタンフォード大学との関係では、以下の二つの逸話が重要である。

 9歳のときに孤児になり、叔父さんに育てられたフーバーは、スタンフォード大学に入学し、卒業後、第一世界大戦のさなかにあるベルギーに食べ物を届けようと決める。周囲の人間は、「戦争中の場所に食糧を届けるなんて、無茶だ」と反対したが、これを聞かず、1100万人の人を食べさせるために、1000億円を集めた。

さらに、レーニンによるロシア革命(1917年)のさなか、1921年にロシアで飢餓がおきると、周囲の人間は、共産主義が台頭しようとしている国家に食糧を渡すべきでないとしたが、「2000万人の人が、空腹なんだぞ。政治になんか構っていられるか。食べさせなくてはいけない」として、食糧を届けることを決めた。

イノベーションだけでは、世界は変えられない。まわりが何を言おうとも屈しない、強靭な意志の力があるかどうかが重要である。



司馬遼太郎の「坂の上の雲」で、日露戦争のとき、旅順を攻略するとき、何度も何度も、銃弾の前に突撃をするシーンが出てくる。

意志の力を間違った方向に使ってはいけない。

フーバーが、戦争中のベルギーやロシアに食べ物を届けるとき、意思の力だけではなく、ベルギー・ロシアの人達への温かい同情や、戦時下に食べ物を届けるロジスティックスを考え付く、深い洞察力・思想があったに違いない。


深い洞察力・思想、強い意志の力、温かい同情

が、スタンフォードのカルチャーだと思う。イノベーションは、これについてくるものとして位置づけられるのだと思う。

2015年5月16日土曜日

ついに透明マントが実現する日

スタンフォード大学では、最先端の情報を手に入れようと皆、水面下でアヒルのように足をバタバタさせている。私も情報を手に入れようと、私と同じ年の教授 Jennifer Dionneの量子力学の授業を受けていた(試験問題は残念ながら満足にとけなかったが、教授と友達になったので、よい成績をもらった)。教授の研究の一つは、屈折率が負となる究極のナノマテリアルを利用し、透明マントをつくりだすことである。これは以下のビデオで紹介されている。




色々調べてみると似たような研究をしている人が他にもいることが分かった。その詳細は、こちらのビデオが分かりやすい。



本当に透明マントをつくりだせるのであれば、投資家が群がってくるだろう。

透明マントが出来れば色々と可能性が広がる。

さて、もし、「この技術をあげよう」と言われたら、読者の方は、起業するだろうか(ひとめぼれで結婚してしまうだろうか)。

スティーブジョブズが、「情熱に従う」べきというスピーチを2005年にスタンフォード大学でした。しかし、情熱に従って生きていけるためには、情熱をもつ前に、分析をしないといけないと講義をするのは、スタンフォード大学のポール・ヨック教授である。起業をする前に、アイディアを100個考え、緻密な分析により、99のアイディアを捨て、残った一つに情熱をもたないといけないというのである。

色々と調べてみると、「まだ早いのでは」という結論にたどり着くのが、普通の人だと思う。タイミングが早すぎる場合には、アイディアをノートに書いて、覚えておく、というのが良いと思う。

2015年4月25日土曜日

Stanford MBAのリユニオンでのスピーチ

Stanford GSBでは、5年に一度、リユニオンが行われ、今年は4月30日から5月3日まで、私のクラスが集合する。そこで、5年間の出来事を8分間でスピーチするTalkというイベントがあり、8人のうちの一人に選ばれた。

振り返ってみれば、あっという間の5年間だった。



スタンフォードビジネススクールの特徴の一つに、各分野のエキスパートとの素晴らしい出会いの機会があることがあげられる。私の場合、ベルラボの科学者で、インド人のオマール(仮名)というかけがえのない友人が出来た。オマールと私は、ある日のこと、農作物の水の使用量を激減させ、砂漠を緑に変える素晴らしい技術を発見し、一緒に起業することになった。モース(仮称)という会社だ。


モースを起業する過程で、私は、親友を失ったが、人生の意義を再発見することが出来た。


親友と一緒に起業をするというのは、良い点も悪い点もあると思う。

オマールと私は、出会ってすぐに仲良くなり、毎日ビールを飲み、夢を語らいあい、コンピュータプログラムを書き、新しい技術をみつけてはアイディアを取り交わした。しかし、創業期のスタートアップの性質上、彼に給料が出せなかった。そのうちオマールは、「破産しそうなので、働くどころではなく、資金繰りと借金取りに追われている。会社のために時間はさけないが、このまま席はおいておきたい」と言ってきた。

投資家からは、彼を首にしなければ、会社のモラルが下がるから、追加の投資は入らないよ、と脅された。

毎日寝れない日が続き、アドバイザや友人、教授から助言を受けた末、決心がついた。一か月2万円という破格の家賃でオマールがモースのために探してきたラボ。そのラボに、彼と一緒にすわり、モースを辞めて欲しい、と決断を伝えた。

結果、オマールは、行方をくらまし、全く連絡がつかなくなってしまった。

あのときの決断には後悔している。困っている人に辞めてもらうべきではない。unpaid vacationをあげ、株のvestingをとめるのにとどめるべきだった。


また、共同創業者は、首にするべきではない、とのレッスンを学んだ。本当に困ってしまったときに、助け合えるのは、心を交し合った創業者同士だけだからだ。


「本当に困ってしまう」状態は、予期せずやってくる。


ある日のこと、モースの資金が底をつきかけたので、梃入れをし、投資を集めるために、プロの経営者を雇った。リン(仮称)という名前だった。誰でも聞いたことのある大手企業の最高責任者の一人だった。シリコンバレーの巨人だ。

シリコンバレーの巨人を雇うことには、代償も伴う。感謝祭の休暇中に帰省し、シリコンバレーに戻ってきた後、オフィス代わりに使用していた超大手弁護士事務所ドラゴンソンシーニ(仮称)に出社すると、受付で、「YIが10時35分出社しました」と記録をとられた。

何だろうと、オフィスに入ると、ドラゴンソンシーニの最高執行役のドナドナ(仮称)が、リンと一緒に微笑を携えながら座っていた。「今日をもって、即日づけで、あなたは首です」と告げられた。取締役会の半数の議決権は、私が掌握していたので、首には出来ない旨を告げ、この場は私が勝利をおさめた。

リンは、本当に強い相手だった。権力争いは、資金集めをする中、数か月間続き、オマールを失った私は孤独だった。

あのとき何故オマールに残ってもらわなかったのか、と何度も何度も悔やみ、眠れない日が続いた。

そうこうするうちに、モースには資金が無事に入り、モースは生きながらえることができた。

ある日のこと、奇妙なことがおきた。私からは何も言わないのに、はじめて会った黒人の青年が、「君が瓦礫の中で、立っているのが見えた」といってスケッチをかいて持ってきた。私が瓦礫の中に立ち、何か筒状の容器のようなものの中で、王冠をかぶっている姿が描いてあった。

奇遇なもので、私には、福島第一原発に放射性廃棄物を除去する製品を直接納入している(おそらく米国では唯一の)会社からラブコールが、かかっていた。

自分の人生にとって、何が一番大切なのか、良く考えてみた。自分の会社よりも、福島の方が大切ではないだろうか。自分の会社は、経験豊富なリンに任せた方が、うまくいくのではないか。

ビジネススクールに留学するとき、自分にとって何が一番大切か、エッセイを書かされる。エッセイには、「自分は、人生を目的をもって生きていきたい(I want my life to be purposeful)」と書いた。モースには、砂漠を緑化し、温暖化、食糧不足、水不足のすべてを解決するポテンシャルがあり、社員全員、その目標に向かって一丸となって働いていた。だが、トマトが育つのを待つのには時間がかかる。

色々と考えているうちに、私は、自分の人生は、船を、虹色の洋服を着て、漕いでいくようなものなのではないかと思うに至った。自分の人生が色彩豊かなものになって欲しい。トマトが育つのを待つ時間が惜しかった。毎日、新しい挑戦をし、社会の役に立っているという実感が欲しかった。

私は、会社の経営をリンに任せることにし、自分は、アメリカの技術を日本に導入し、福島と日本の復興に専念することにした。


日本経済は、私が小学生の頃にバブルが崩壊し、そのあと、上手くいっていない。経済が麻痺すると、苦しむ人がたくさん出てくる。正社員になれない人が増えると、社員教育の機会も減り、結果として、学校で得た素晴らしい教育も、時が経つにつれ、薄れ、いずれは無駄になってしまう。負のスパイラルがうまれる。

私は福島の問題を解決するとともに、日本の経済も回復させたいと思った。

日本の問題を、マクロレベルでみると、供給能力が需要を大幅に上回るため、金利をゼロまで下げても、投資や消費をしようという需要が生じないことにある。

「この道しかない」というアベノミクスは、インフレ(の期待)によって、「ゼロ金利でもだめなら、マイナス金利に」ということで、実質金利をマイナスにすることで、これを解決しようとするものだ。

「この道」ではない「あの道」はないだろうか。アップルがiPhone, iPodをうみだしたときには、新しい需要がうまれた。

日本では、原発がとまり、当時は30%ともいわれた電力供給がなくなってしまった。同時に円安で燃料の輸入費用も高い。また、様々な人の人生が影響を受けた。


福島の問題を解決する過程で、シリコンバレーでアントレプレナーとして戦い鍛えてきた経験をいかし、新しい需要をうみだすことが、自分の次のミッションだと思う。




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以上の記載は、問題にならないように、一部、名称や事実関係を変えることで、フィクションとした。