2011年6月18日土曜日

卒業



1.最後の授業

"Regret for the things we did can be tempered by time; it is regret for the things we did not do that is inconsolable.(Sydney Harris)"(挑戦して、うまくいかなかった記憶は、薄れていく。挑戦しないで後悔した記憶は、一生忘れることが出来ない。シドニー・ハリス。)

スタンフォードGSBの最後の授業は、最人気のグロースベック教授の上の一言で始まった。それは、奇しくも、私のスタンフォードMBAのエッセイの書き出しと同じだった。


2.スタンフォードMBAの謎

スタンフォードMBAのミッションは、御存知のとおり、"Change Lives, Change Organizations, and Change the World."である。

これは単なるマーケティングなのだろうか、本当なのだろうか。

スタンフォードMBAのアドミッションオフィスが来日したとき、彼らは、スタンフォードのカルチャーにフィットしている人が欲しいと述べていた。学校のコミュニティと一体になれる人が欲しいのだ、と。
「あなたがスタンフォードのカルチャーにフィットしていれば、その影響を受ける。皆が世界を変えたい、世界を変えられると思っているカルチャーと一体となる。あなたも、『自分にもできる』と信じるようになる。我々はそういう人がほしい。」(アドミッションオフィス)
その半年後に、合格の電話をもらい、ちょうど3年前に、私のスタンフォードMBAの留学が始まった。私の留学は、前代校長のボブ・ジョスのスピーチと共に始まった。彼のスピーチは、今でも鮮明に覚えている。
「卒業したとき、振り返って、君達は、『自分がこんなに変わったのか』と驚くだろう。そのためには、いつも自分にとって、Uncomfortableだと感じることに挑戦しなさい。」
「本当に自分も変われるのだろうか。卒業するときには、ジョスが言っていたことが本当だったか振り返ってやろう」と心に決めた。


3.つらかった一年目

MBAの一年目はつらかった。一科目について平均して30頁(多いときには100頁)の予習があり、一日について、二科目から三科目授業がある。夕方まで授業があり、そのあとパーティやら色々なイベントがあるので、授業に追いつかず、どんどん負債がたまっていった。

今は校長になったガース・サロナー教授(当時は戦略の授業を教えていた)から、
「君の成績の状態は非常にまずい。危機的な状態だ。」
というメールが届いたのを覚えている。

おまけにアメリカは大不況に突入するところで、仕事がなかった。日本では得てして尊敬を集める弁護士だが、シリコンバレーのキャリアコンサルからは、
「弁護士だということは、なるべく相手に話さないようにしなさい」
とキャリアを全否定され、「それでは、どうやってアメリカでインターンシップをとるのだろうか」とショックを受けたのを覚えている。


4.自分の変化

一年目の秋休みの頃から、私に変化が訪れ始めた。

怖かったが、30年の内戦が終わったグアテマラに、クラスメートと共に行くことにした(こちらの記事)。

グアテマラの農家は貧しく、数十キロのコーヒー豆を手を真っ赤にしながらとっても、一日に1ドルしか貰えない。私が泊まった石造りの家には、いつも野犬が入ってきて、とても臭かった。我々のガイドは、我々を守るために、常にピストルを持っていた。元ゲリラの村に泊まり、生命の危機を感じながら、急斜面な活火山を登り、自然の美しさを謳歌した。とてもとてもUncomfortableだったが、美しくも危険な環境と共存して笑いながら生きていく人達を見て、世界を見た思いがした。

そしてその後、南アフリカにクラスメートと旅行した。水のない砂漠の村に泊まり、「あなたはシャワーもあびれないし、水も飲めないし、歯も磨けない。」と言われた。

世界を見て、旅行して、アメリカ人と飲食就寝を24時間ともにすることで、様々な国の人の価値観が少しづつわかるようになった。

そして、アフリカから帰ってくると、成績優秀者の一人に選ばれていた。勉強時間を削ることが出来るようになったので、アメリカのクリーンテックのスタートアップに対するコンサルをはじめた。そうこうするうちに、インターンシップも手に入った。卒業生が設立したクリーンテックの会社で、アメリカ人と一緒に仕事をして、「自分もアメリカで仕事が出来る」と自信がついた。同時に、アメリカ人のような考え方やコミュニケーションが出来るようになってきた。

インターンから帰ってくると、友達に、「変わったね。自信があるみたいだよ。」と言われた。


5.カルチャー

2年生になり、次々にスーパースター達と会うことができた。グーグルのエリック・シュミット、インテルの創業者のアンディ・グローブ、ベリタスソフトウェアのファウンダーのマークレスリーといった面々とランチをし、素顔を見た。クラスメートには、ファッション大手のランバンのCEOといった面子がいた。いやでも彼らの考え方の影響を受けた。
「アントレプレナーになりたいのであれば、コンサルや投資銀行に行くことは薦めない。学生ローンを返したい気持ちは分かる。しかし、コンサルや投資銀行のカルチャーの影響を受けて、飛行機のファーストクラスになれてしまい、子供ができ、10年後、ベットの上で起き上がり、『スタンフォードにいたときにあんなにあった僕のアイディアはどこに行ったんだろうか』といつか思う日が来る。そうなってからでは引き返せない」(グロースベック教授)

「目の前にいくつも道がある。険しい道をみて、あなたは、『もっと実力がついてから、もっと貯蓄ができてから』その道に行こうと思う。しかし、今行かなければ、その道に行こうという日は、決して来ない」(サーチファンドのクラスの教授)
気がつくと、私もGSBのカルチャーに感化されていた。


6.挑戦

彼らの考え方に感化されるうちに、起業するとしたら、どういうアイディアであれば成功する可能性があるのかが分かるようになり、その後は、次々と新しいアイディアが浮かぶようになった。GSBの友達とビールを飲むと、ビールを飲み干すまでに、2つ3つはアイディアが思い浮かぶようになった。

成功するアイディアの基準の一例:
  1. ストラテジックインフレクションポイント(戦略転換点):このブログで何度も紹介したストラテジックインフレクションポイントでは、競争のルールが変化するので、リソースのないスタートアップにも勝機がある。コーナー(隅っこ)を見ることで、将来に対する自分なりのビジョンがあれば、いち早くストラテジックインフレクションポイントに気付ける。
  2. プロダクトとマーケットがフィットしていること:スタートアップはリソースがないので、マーケティングに大企業ほどガンガンお金を使うことは出来ない。本当に強力なPainをマーケットに発見し、このPainを解決するユニークなプロダクトを売ることでしか、大企業に勝って成功することは出来ない。
  3. フォーカス:スタートアップはリソースがないので、一点に集中して、その一点で大企業に勝って成功することしかできない。
そんなとき、もとベルラボの科学者と出会い、彼から紹介された技術で起業することにした。グアテマラや南アフリカで大きな世界を見たことも、アイディアを思いつく契機になった。

次々とビジネスプランコンペティションで優勝・準優勝し、一流の投資家から資金調達した。プレゼンの技術は、GSBのコーチや教授から習った。


7.人生の意味

私のスタートアップが成功するかは分からない。それでも挑戦できるのは、ビジネススクールで、カルチャーの影響を受け、人生の意味について考える機会を与えられたからだと思う。

私は、挑戦し続ける、ユニークな人生を歩みたい。自分なりの人生を、自分の価値観に従って、歩むことが出来れば、それがGSB流の「成功」なのだ。

最後のパーティで、卒業式で、周りのクラスメート達と気持ちを共有しているのを感じた。オーケストラの一員として演奏するときに、オーケストラ全体と気持ちを共有している感覚と同じだった。その「時が止まった瞬間」は一生忘れることは出来ない。

自分の夢に向かって挑戦し、学び続け、自分が属するコミュニティと気持ちを一つにすることが出来れば、自分の人生に後悔はないと思う。

GSBの卒業式で、Herb Allisonは、「GSBを卒業する今、君達にとって重要なのは、結果ではなく、自分の価値観・コンパスに従った人生を生きることができるかどうかだ」と述べていた。

人生の意味を教えてくれたGSBに感謝したい。