受験生は、そろそろ、掲題のエッセイについて、考えはじめる時期です。日本人は、掲題の課題を与えられると、仕事の話を書きたくなってしまったりして、ふつうは、何を書いて良いか分かりません。そこで以下に例です。
なお、このエッセイの登場人物は、私では、ありません。また、実際の合格者のエッセイでもありません。さらに、文字数を気にしていないため、内容が冗長であるため、コピーすると、受かりませんから、内容やクオリティを考えるときの参考程度にして下さい。
"Only a life lived for others is a life worthwhile" (Albert Einstein)
(他の人のための人生のみが、意義のある人生である)(アルバート・アインシュタイン)
二死満塁。リトル・リーグ決勝戦。僕がヒットを打てば逆転。 打たなければ負けてしまう。
ピッチャーの黒い影が大きく、熊のように見えた。振りかぶった。次の瞬間、ボールは、キャッチャーのミットに入っていた。「ストライク・ワン」審判の声が響いた。
まずい、何も見えなかった。次は、振ろう。ピッチャーが再び振りかぶった。振り遅れた。「ストライク・ツー!」
観客を見て、ハッと気づいた。スタジアムには、親戚や友達の親戚300人が、応援していた。僕のせいで負けたら、一生、友達の親戚は、覚えているだろうな。そうしたら、一生の恥だ。
僕は、いったん打席を外し、精神を集中させた。観客の親の顔を見た。コーチからは、「とにかく練習どおりに振るんだ」という指令が出た。
練習どおりに振ろう。今度は、僕は、ピッチャーが振りかぶったときから、モーションをスタートして、バットを思いっ切り振った。
ボールは・・・ミットの中だった。
「ストライク・バッターアウト。」
向こうのチームは勝って、胴上げだ。胴上げを終えて、相手のチームのピッチャーがこっちに歩いてきた。
「お前のせいで負けたな」
僕の目から涙が溢れてきた。皆にあわせる顔がない。
ロッカールームで着替えていると、
「試合は、まだ終了していないぞ」
と声がした。
どういうことだろう。すると、また、「試合は終了していないぞ」という声がした。
みると、マウンドに、お父さんがいた。友達の親戚一同が、守備の配置についていた。
お父さんが、「バッターボックスに立つんだ」というので、バッターボックスに立った。お父さんが振りかぶり、僕は、バットを振った。「ストライク!」
お父さんは、僕のバットに当たるまで、何度も、何度も、何度も、球を投げ続けた。ついに、
「キーン!」
という音がして、バットがボールにあたった。三塁を守る叔父さんは、エラー。「走るんだ」とお父さんから声がした。僕は必死で走り、一塁をまわった。
叔父さんが球をとり、二塁に投げたが、エラー。三塁もエラー。「みんな僕のためにエラーをしてくれているんだ」と分かった僕は、そのままホームプレートに走った。
ホームプレートを踏むと、お父さんが待っていた。僕の顔は、笑顔で一杯だった。
見ると、今度は、お父さんの顔から涙が出ていた。なんでだろう。さっきは、僕が泣いていたのに、今度は僕が笑っていて、お父さんが泣いている。
「何も心配することはないんだよ。」と言って、僕のことを抱きしめてくれた。
(続く・・・のかな?コメント欄や拍手欄などで、要望があれば、続きを書いて、エッセイを完結させます)
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1 件のコメント:
共感しました。自分がどうしたい、という自己欲求ではなく、人のために生きる。でもそのためには自分が成長したくてはいけない。孔子は仁こそが最高の美徳と言った。僕もそうありたいですね。スタンフォードMBA行きたいです
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